2016年8月21日(日)~8月28日(日)
HISの『陽光のイタリア周遊8日間』というツアーに参加しました^^
新婚旅行日記6日め編です。
ポンペイ遺跡が思いのほかすごく楽しい観光地で。
古代の人たちって頭良いんやなぁ~!って関心することばかり。
んで今と大差ない生活をこの頃すでに送ってるんですよ。
2000年前の時代。ポンペイにはすでに色んな施設がありました。
レストランやマッサージ屋さん、パン屋さん…
古代人ってとんでもなく頭いい人たちやったんやなって思います。っていうポンペイ観光日記その2です!(=゚ω゚)ノ
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フォロの浴場
様々な施設やサービスが充実していたポンペイ。浴場もその一つです。
もうね、ここね、「あと電気があれば現代と同じだね」っていうくらいよくできててね。
暖房設備もあった!足元の穴から熱風が出てくる仕組み。
暑いから喉が渇く。だから水飲み場もあるのですが、
この水が蒸発して天井に行ってしまうので天井を丸くして蒸気を一か所に集め、
そこから水滴が壁をつたって落ちてくるよう、壁に溝が掘られています。
ここから水滴がつたって降りてきて、狙った場所に落ちてくれるってわけです。
さらには壁が二重構造になっていてそう簡単には冷えないという…
すごすぎるっ!誰っこんなの考えた古代人は!!(◎_◎;)
しかも装飾もたくさんあるし、芸術にまで気が回るなんて、本当に豊かな生活だったと想定されます。
…まぁ奴隷の存在なくしては語れない豊かではありますが…^^;
テルモポリウム・パン屋さんなど食堂街
現代人と同じようにショッピングなどを楽しめる場所もあった。
「TABERNA」、ローマ字読みしたら「食べるな」だけど、ギリシア語で意味は「レストラン」だそうです(笑)
ここはテルモポリウムと呼ばれています。
この穴から熱風が出てきて食べ物を温めたりしてたらしい!
冷蔵庫にもなる便利な穴らしく、ガイドさんによると2000年前にはすでにアイスクリームが売られてたらしいです。
ま、まじですか…!?(;゚Д゚)今で言うマック的な場所だったみたい。
本当に現代とそっくり同じだったのがパン屋さん。
これ、かまど。
今のピザ釜と何も変わりません(*”ω”*)☆
焼き方もまるで同じで、かまどに火を入れて生地を近くに置いとくんだって。
何千年も前から同じ作り方なんやねぇ~(*^▽^*)
石臼は奴隷や牛が引いていたそうです。
パン屋さんってすごく利益の上がる商売だったようで、ポンペイでは30軒以上のパン屋さんが見つかっているそうです♪
お店と言えば、こんな所も。
何かを売っていた場所のようですが、扉が引き戸だったようです。
溝がくっきりしてるのでそう推察されるとか。
こういうの見てるとほんと面白いねぇ^^
どんな人がどんなお店してたのかなぁ。
フォロ(公共広場)
こちらはフォロと呼ばれる市民の生活の中心地です。
正面に見えてるのがジュピターの神殿。
あ、この時ポンペイ各地にデカい顔が飾ってあったけど、あれは期間限定で展示してる現代アートだそうです。紛らわしい(笑)
まぁとにかくこの通りに面して公共の建物が集結してたようです。
日本で言う弥生時代にはすでに市役所もあったそうで、歴史の深さ・発展の早さがわかります。
↓写真一番右の建物(人が被ってるけど)市役所だってー。
パンフによると、街の運営・司法による裁き・事業の管理・市場などの商取引が行われた他、信仰など街の中心の場であったとか。
日本がようや野性的な狩り中心の社会から水稲農耕による農耕社会に変化していた時代に
すでにこんな現代的な生活をしてたんですね…
柱が1本崩れてるのがなんとも印象的。
あぁー私こういうのだいすき。古代ってかんじで。
これはかつての穀物倉(果物と野菜の市場として使われてたもの)なんですが、
今ではポンペイ最大の考古学品の倉庫になっています。
1800年末から行われてきた発掘で見つかった出土品の、実に9000点以上がここに保管されてます!
でも保管されてるのはそれだけじゃなくてね、ポンペイ大地震の犠牲者や、犠牲となった犬もここにはいます。
どういうことかと言うと…起源62年にポンペイ大地震が起こったんですね。
再建に励んだ古代人ですが、その17年後の起源79年8月24日、ベスビオ火山が大噴火。翌日まで噴火は続いたそうです。
(街のあちこちに復興途中の工事現場が残っていたとか。それが16世紀の末に再発見されたんだそうです)
火山、こんなに近いんだ。
そして石や土、灰などが街や人に降り積もってしまったという歴史があります。
辛い歴史ですが、そのおかげでローマ帝国時代の地方の生活がまるまる閉じ込められ、
今、考古学者さんたちによって発掘が進められているわけです。
ポンペイはかつて貴族の別荘地として人気だったそう。そんなローマ帝国時代をはっきりと今に伝える貴重な遺跡となったのですね。
それで、火山で大勢の人が亡くなったわけでしょ…
すごい勢いで多くの人や家が埋め尽くされていったから、
降り積もる石や灰で息ができなくなって苦しむ犬の姿とか、膝を抱えて頭をうずめる人の姿が、そのままの形で残っているんです。
(私が見たのはこの2人やけど、あちこちに石膏あるらしい)
どうやってその形を取り出したのかと言うと、発掘の際に発見した穴に
試しに石膏をトロトロと流し入れ、固まってから取り出したら、そういう形になったんだって。
人や生き物を閉じ込めたまま地形が固まってしまって、でも遺体は腐って無くなっていくから中に空洞ができてしまう。
その形を取り出したものが、生々しく展示されてたりするんですよ。
色々考えたけど、あまりに生々しいので写真は載せません。
ご遺体そのものじゃないけど、お体の型そのものだからね。風化せずに残った骨とかは中に入ってるらしいし…よくわからんけど…
でもググると画像はたくさん出てきます。
ご冥福をお祈りいたします。
…と!!
ちょっとしんみりな話になっちゃったけど!!
ポンペイ日記、ライト1回続きます。長いなー^^;
でもそれだけ面白かった場所やから。
次回は当時の売☆春☆宿(☆は検索避けです笑)についてとか気合い入れて書くよ!超笑ったからね!
よかったら次回も読んでみてくださいね(笑)
前の日記はこちら→40*ポンペイ遺跡観光その1!古代そのまま感動の景色
次の日記はこちら→42*ポンペイ遺跡観光その3!大人のウフフ街と秘儀荘
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